2013.02.16|女が真に求めるものは何か?

女が真に求めるものは何か?――『アーサー王伝説』より

わたくしの師匠、光元和憲先生に許可をもらい先生のエッセイを拝借させて頂いたものを載せます。

 
ここで紹介することは、P.Y.エイゼンドラスというアメリカの女性治療者が紹介したものです。困ったことにその元の本が私の手元にありません。そのため、私のかすかな記憶を頼りに紹介させていただきます。

『アーサー王伝説』にはさまざまな物語が組み込まれていますが、そのなかに、「騎士ガーウェインとラグニル姫」という話があります。物語はこうです。

あるときアーサー王は一人で狩に出かけ、獲物の雌鹿を追って森に分け入っていきます。やっと鹿をしとめたと思ったアーサー王の目の前に、突然グローマーと名乗る大男が現れます。

「お前はいったいだれに断って、おれ様の領地で狩なんぞをしている! しかも大事なおれの鹿をお前は殺してしまった。こうなったら、お前の命であがなってもらうしかないな!」

アーサー王はあわてて謝罪しますが、グローマーの怒りはおさまりません。やむなくアーサー王は覚悟を決めます。

するとどういうわけか、グローマーの態度がやわらぎ、殺す前に一度だけなら生き延びるチャンスを与えてやらないでもないと言います。どういうチャンスなのでしょうか? グローマーは言います。

「女が真に求めているものは何か? その答えを一年後のこの日、この場へ持って来い。その答えがあっていれば、お前の罪は許してやろう。だが、もし違っていれば、それがお前の最期のときだ」

命からがら城に帰ってきたアーサー王の様子がただならぬのを、第一の騎士ガーウェインが気づきます。アーサー王から事情を聞いたガーウェインは、こう忠言します。

「王よ、ご安心ください。きょうから国中にお触れを出し、女が真に求めるものを一年もかけて集めれば、そのなかに必ずやひとつやふたつ正解があるはずですから」

さて約束の一年が迫ったある日、アーサー王は家来たちが集めた膨大な解答集を手に、森に分け入っていきます。

するとそこへ、いかにも醜い小柄な老婆が現れ、自分の名はラグニルだと名乗ります。そして自分だけがアーサー王が探している答えを知っていると言い切ります。答えを教えてやってもいいが、条件がひとつある、と言います。アーサー王が条件を聞くと、騎士ガーウェインと自分との婚姻を認めることだと言います。アーサー王が、たとえ王といえども、騎士の婚姻を自分の一存で決めることはできない、と答えますと、ラグニルは、ガーウェインにこのことを取り次ぐだけでいい、と言います。アーサー王はそれなら了解したということでラグニルから答えを聞きます。

アーサー王としては、手元に一年かけて集めた答えがあるのだから、ラグニルのくれた答えを使うようなことはないはずだ、という思惑があります。

さて約束の場所にやって来たアーサー王は、大男グローマーに、国中から一年かけて集めた答えをひとつひとつ読み上げます。ところがグローマーは、それも違う、それも違う、と、ことごとく否定します。最後の答えにも首を横に振ったところで、グローマーが「さあ、覚悟しろ!」と迫ったところで、アーサー王はやむなく、ラグニルから教えられた答えを口にします。

「女が真に求めているもの。それは、自分の人生を自分で決める権利だ」

この答えを聞いたグローマーは烈火のごとく怒ります。「おまえは、その答えをラグニルから教わったな!」

でも約束は約束なので、グローマーはそのままアーサー王を自由にします。

こうしてアーサー王は醜い老婆のラグニルとともに城に戻ってきます。無事戻ってきたアーサー王のもとに騎士ガーウェインがだれよりも喜んで駆け寄ってきます。でもこのときもアーサー王は元気がありません。

そのわけを聞いた騎士ガーウェインは、即座に答えます。「王よ、わかりました。王のためとなるなら、わたしはたとえ相手がヒキガエルでも、喜んで結婚しましょう」

こうして騎士ガーウェインとラグニルとの結婚の宴が催されることになりました。城の一同が沈うつな思いのなかで、ひとりラグニルだけが醜い姿ではしゃぎまわっています。

宴も終わり、いよいよ新婚初夜。二人きりになったところで、かの醜い老婆ラグニルが、なんと、美しい姫に姿を変えます。

「ガーウェイン様。よくぞわたくしとの婚姻をお引き受けくださいました。この今の姿がわたくしの本来の姿で、名もラグニル姫と申します。かの乱暴者の大男グローマーはわたしの兄で、わたしは兄に魔法をかけられたせいであのような醜い姿になっていたのでございます。でもガーウェイン様がご自身の意思でわたくしとの婚姻を承諾してくださったおかげで、わたしにかけられていた魔法がとけました」

「でも、ガーウェイン様、魔法はまだ半分しかとけておりません。と申しますのも、わたくしは一日じゅうこの美しい本来の姿ですごすことはできません。昼間この美しい姿ですごし、夜醜い老婆の姿でガーウェイン様と床をともにするか、逆に昼間醜い老婆の姿ですごし、夜この美しい姫の姿でガーウェイン様と床をともにするか、どちらかしかできません。」

「さて、ガーウェイン様は、どちらをお望みでしょうか? どちらがいいか、ガーウェイン様がお決めくださいませ。ガーウェイン様、よくよく注意してお決めください」

――さて、皆さんならどちらをお選びになりますか?

ラグニルの話を聞いたガーウェインは、にこりとするや、すぐに答えました。

「ラグニル様。それはあなた自身の生き方の選択ですから、あなた自身でお決めください」

ガーウェインの言葉をきいて、ラグニルの顔もパッと輝きました。

「ガーウェイン様、おみごとです。その言葉で、わたくしにかけられていたすべての魔法が解けました。これで、わたくしは昼も夜も、このうつくしいラグニル姫の姿でガーウェイン様とともにすごすことができます。

騎士ガーウェインとラグニル姫は、末永く幸せに暮らしていったとのことです。(おわり)

2013.01.23|1月26日~2月1日 御休みのお知らせ

お寒うございます。

しかし、花たちは、もう春です。

鹿児島の神田橋條治先生の処に勉強に行ってまいります。

1月26日から2月1日までお休みをさせて頂きます。

よろしくお願い致ます。

2013.01.04|新春

新年

あけましておめとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆様の三箇日はいかがでしたか。

わたくしは、食べて、飲んで、唄って。。。。

大晦日は、家で宴会。11時45分頃、息子とその友達と神田明神へ。

参拝後、樽酒と臼と杵でついた、からみ餅をふるまって頂き感激、あまりの美味しさに悶絶。。。

本日が、仕事始めです。

すでにお正月気分はどこかに飛び、今年も数か月過ぎたような気分です。

酔い、良い新年でした。

濃ーい、数日間でした。

厳しい寒さの折からどうぞご自愛ください。

今年は、皆様にとってよい1年になりますよう、心から祈りあげます。

 

2012.12.31|大黒柱の靴磨き

今年もあと3時間ちょっとでお仕舞です。

皆様に助けられながらどうにか1年を終えることができました。

お世話になりました。

朝からわたくしは、お節料理に精を出しお重に詰めました。

かどのさとこさんから、つきたての御餅を頂き、はす向かいのくみさんからは、

(岩国のお母様持参の)橙や檸檬やぎんなんを頂戴しました。

ぎんなんの処理は手間の大層かかるものです。

翡翠色のぎんなんは、三個楊枝にさして届けてくれました。

3は、ユングで分析すると「発展」です。

果物のあまりの美味しさにおっぺたが落ち、両手で抱えましたよ。

檸檬は、レモンピールにしてお礼の御裾分けをいたしました。

神田は、村ですね。

我が家の大黒柱は、家中の靴をマニアックな方法でピカピカに

磨いてくれました。

「地に足をつけて生きなくちゃね」とわたくし。

「ちょっとは地に足をつけてね」と夫。

来年もどうぞよろしくお願い致します。

2012.12.24|「親ばかちゃんりん、そば屋の風鈴」

花嫁は嫁いでいきました。

「美しい。。。。」と父親。親ばかちゃんりんです。

大泣きしました。

まるで幼子のように。

2012.12.24|花一輪

わたくしは、花一輪が昔から好きだ。

それを知っている数少ない男性の一人が夫だ。

いままで何度かプレゼントしてくれた。

それらは、野ばらだったり、スプレーバラだった。

駅の傍や飲み屋さんの傍のお花屋さんでお酒の勢いに後押しされて

買ってくれたものだと感じていた。

今日は、クリスマス・イヴ。

息子が、福岡の仕事から帰ってきた。

娘は、嫁いでもう家にはいない。

夫が、薔薇一輪のプレゼントをしてくれた。

息子からは、九州のお菓子のお土産。

わたくしは、夕餉に腕を振るった。

こんな楽しい夜は我が家では珍しい。

みんなが相手の喜ぶ顔を見たくて心をつくす。

気持ちの双方通行ってこういうことだったと知らされた。

一見、芍薬のような数えきれない花弁のこの花は本当に薔薇か?

おまけに棘がない。

結婚して30年のささやかな仕合せ。

 

2012.12.20|さよなら5才

今日、12月20日は、わたくしの大切な友のお誕生日です。

いろはちゃん!!おたんじょう日おめでとう。

「さよなら5才」そして「6才○○○○○」

らい春には、1年生になります。

学校に上がる前の最後の年の瀬です。

お誕生会をしました。

集まってくれた人は、coci la elle ひがし ちかさん(いろはちゃんのママ)、
ito*mel 亀山めるさん、トワル.rui 高木瑠衣さん、浅草橋天才算数塾(http://sansujyuku.com)のDJぷりぷりくんです。

「眠庵」で気も遠くなりそうなくらい美味しい蕎麦を食し、「竹むら」で粟ぜんざいを食し、

我が家で、かるたをして遊び、集団コラージュをし、「キタキツネ」を鑑賞し、コロッセウムのような

ロココ調のマンダリンバナナシフォンケーキを作り、これでもかっていう位楽しみました。

時空を超え、古代ローマや弥生時代にワープしました。

そう言えば、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」では、宗介が5才でした。

彼は、十分に大人でした。ただ大人のような社会経験を積んでいないだけ。

いろはちゃんも味の分かる大人でした。

宮崎駿「ポニョがポニョを貫き、宗介が宗介を貫く。みんな良かったねというところへ、最終的には向かいました。また海と陸は、この世とあの世とか生と死とか、いろんな言い方ができるが、五歳の子どもが分かってくれればいい」

やっぱり5才は、すさまじかった。

ありがとう、いろは。

これからもたくさん遊んでね。

2012.12.02|師走に娘が結婚

2012年も師走になりました。

娘の彩が師走に結婚式をあげます。

「名前の由来と教えてほしい」と娘。

二十有余年前の春に、娘は誕生しました。

父親が音を考えて、字は母が決めたことを初めて話しました。

名前を考えた時は、まず音から入りました。

「ア」という明るい音から始まる名前。

そして、外国でも覚えてもらいやすく、発音しやすい名前と

考えて「あや」を思いつきました。

それにローマ字表記でAYAって、シンメトリックで、恰好いいでしょう。

その次に漢字を探しました。

いろどり、色彩の意味の「彩」という感じは、いかにも3月、これから明るい春を

迎えるかわいい赤ちゃんにふさわしいと思ったのです。

「わあー!ありがとう!彩はみんなに気に入ってもらえたんだね!」と娘。

そう、おばあちゃん(わたくしの実母)は、吼えて喜んだのでした。

過日、ヘアーメイクのリハーサルに付き添いました。

娘は、自身の好みと母の意見を取り入れてさっぱりとした

花嫁になりました。

本番ではどのようにわたくしの心に映るのか楽しみです。

 

 

 

2012.11.08|ぞうさん

まど・みちおさんの「ぞうさん」は、戦後の童謡の代表作だと言われている。

 

2012年 石原稔久作

ぞうさん

ぞうさん

おはなが ながいのね

そうよ

かあさんもながいのよ

ぞうさん

ぞうさん

だあれが すきなの

あのね

かあさんが すきなのよ

わたくしは、この詩が時々フラッシュバックする。そしてハミングする。この詩には、自分のことを認めてくれるような雰囲気がある。

詩ができたのは昭和23年の春らしい。まどさんは生活が楽ではなかった。長男の誕生日に汽車の玩具がほしいと言われたまどさんは、物価が高いので買い物を諦め、長男の手をひいて上野動物園へ行った。

春先の風に吹かれて、動物園は砂ほこりが舞い上がっていた。お客は入っていない。猛獣類は戦争中に射殺されてそれきり補充していない。象もいない。象舎は空襲で焼かれていて黒焦げなのだが、その前に詩人と長男が立って中をのぞいてみた。そして二人とも、目に見えない象をそこに見た。見たばかりかこころを通い合わせた、と詩人の坂田寛夫さんは書き記している。(「まどさん」ちくま文庫)

現在、102歳のまどさんが、この詩をどう感じているかを「いわずにおれない」(集英社be文庫)に書いている。

そもそも詩というのは、10人読んだら10人が違う感想をもつものでね。感じ方はひとつじゃなくでいい、その人が感じたいように感じてもらうのが一番いいと私は思っておるんです。だから、この詩はこういうふうに読んでほしいっちゅうことは、それをつくった私にも言えないんですよ。ただ、その詩がどういうふうに読まれたがっているかということはあります。

たとえば、「ぞうさん」でしたら、<ぞうさん/ぞうさん/おはながながいのね>と言われた子ゾウは、からかいや悪口とうけとるのが当然ではないかと思うんです。この世の中にあんな鼻の長い生きものはほかにいませんから。・・・・われわれ情けない人間だったら、きっと「おまえはヘンだ」と言われたように感じるでしょう。

ところが、子ゾウはほめられたつもりで、うれしくてたまらないというふうに<そうよ/かあさんも ながいのよ>と答える。それは、自分が長い鼻をもったゾウであることを、かねがね誇りに思っていたからなんです。小さい子にとって、お母さんは世界じゅう、いや地球上で一番。大好きなお母さんに似ている自分も素晴らしいんだと、ごく自然に感じている。つまり、あの詩は、「ゾウに生まれてうれしいゾウの歌」と思われたがっとるんですよ。

 

まどさんには、宇宙の仕組みとかすばらしさが見えているのだと思う。

まどさんは、一生懸命に自分を発見し続けているのだと思う。

わたくしも、一生懸命自分を生きようと思う。ようやくそう思える。

自分が自分であること、自分として生かされていることを、もっと喜ぼうと思う。

 

2012.10.02|刀根 里衣(tone Satoe)

読書の秋です。

親友が絵本(タイトル:「Questo posso farlo」)をプレゼントしてくれました。

イタリア在住のイラストレーターTone Satoeさんが、2012イタリア ボローニャ国際絵本原画展で

入賞した作品です。

柔らかいタッチの絵ですが、地に足のついたどっしりした作品です。

「自分らしく生きる」ということがテーマかしら。

自分のできなさを肯定的に受け止めることのできる人は、覚者だと教えられました。

 

     「なにもできない鳥」  (直訳:わたしはそれを行うことができます)

みんなは、卵の殻を破り元気よく産まれた。彼はそうしなかった。

みんなは、果実を取ることができた。彼はそうしなかった。

みんなは、泳ぐことができた。彼はそうしなかった。

みんなは歌うことができた。彼はそうしなかった。

みんなは登ることができた。彼はそうしなかった。

みんなは釣りができた。彼はそうしなかった。

みんなは飛ぶことができた。彼はそうしなかった。

池で浮き輪を使ってみたが、進まない。

歌を唄おうとしてが、調子が外れる。

梯子を使って枝に登ろうとしたが、上手くいかなかった。

網を使って魚を捕ろうとしたが、魚たちは通過した。

気球をつけて空に上がったら、うまくいった。

しかし、その後、バルーンが萎むと、彼は一人残された。

私は何もできない…

その瞬間、彼は一人ぼっちの花をみつけた。

鳥と花は、出逢って、喜びに満ちた。

子どもが生まれた。

しあわせ。。

たとえ風が吹いても

お日様の中でも

雨の中でも

雪降る中で凍てついても

私たちは、しあわせ。

春が来ると壮大なツリーになって花々が咲き乱れた。

誰もが行ってみたかったところ。

それよりも、より美しく、より幸せな場所がありませんでした。