2012.11.08|ぞうさん

まど・みちおさんの「ぞうさん」は、戦後の童謡の代表作だと言われている。

 

2012年 石原稔久作

ぞうさん

ぞうさん

おはなが ながいのね

そうよ

かあさんもながいのよ

ぞうさん

ぞうさん

だあれが すきなの

あのね

かあさんが すきなのよ

わたくしは、この詩が時々フラッシュバックする。そしてハミングする。この詩には、自分のことを認めてくれるような雰囲気がある。

詩ができたのは昭和23年の春らしい。まどさんは生活が楽ではなかった。長男の誕生日に汽車の玩具がほしいと言われたまどさんは、物価が高いので買い物を諦め、長男の手をひいて上野動物園へ行った。

春先の風に吹かれて、動物園は砂ほこりが舞い上がっていた。お客は入っていない。猛獣類は戦争中に射殺されてそれきり補充していない。象もいない。象舎は空襲で焼かれていて黒焦げなのだが、その前に詩人と長男が立って中をのぞいてみた。そして二人とも、目に見えない象をそこに見た。見たばかりかこころを通い合わせた、と詩人の坂田寛夫さんは書き記している。(「まどさん」ちくま文庫)

現在、102歳のまどさんが、この詩をどう感じているかを「いわずにおれない」(集英社be文庫)に書いている。

そもそも詩というのは、10人読んだら10人が違う感想をもつものでね。感じ方はひとつじゃなくでいい、その人が感じたいように感じてもらうのが一番いいと私は思っておるんです。だから、この詩はこういうふうに読んでほしいっちゅうことは、それをつくった私にも言えないんですよ。ただ、その詩がどういうふうに読まれたがっているかということはあります。

たとえば、「ぞうさん」でしたら、<ぞうさん/ぞうさん/おはながながいのね>と言われた子ゾウは、からかいや悪口とうけとるのが当然ではないかと思うんです。この世の中にあんな鼻の長い生きものはほかにいませんから。・・・・われわれ情けない人間だったら、きっと「おまえはヘンだ」と言われたように感じるでしょう。

ところが、子ゾウはほめられたつもりで、うれしくてたまらないというふうに<そうよ/かあさんも ながいのよ>と答える。それは、自分が長い鼻をもったゾウであることを、かねがね誇りに思っていたからなんです。小さい子にとって、お母さんは世界じゅう、いや地球上で一番。大好きなお母さんに似ている自分も素晴らしいんだと、ごく自然に感じている。つまり、あの詩は、「ゾウに生まれてうれしいゾウの歌」と思われたがっとるんですよ。

 

まどさんには、宇宙の仕組みとかすばらしさが見えているのだと思う。

まどさんは、一生懸命に自分を発見し続けているのだと思う。

わたくしも、一生懸命自分を生きようと思う。ようやくそう思える。

自分が自分であること、自分として生かされていることを、もっと喜ぼうと思う。