2017.02.05|お休みのお知らせ

お休みのお知らせです。

2月8日から2月16日まで研修のためお休みを頂きます。

どうぞよろしくお願いいたします。

2016.11.27|鹿児島に行ってきます

寒さ厳しい日々が続いています。

春に鹿児島行きのお知らせをしてから随分ご無沙汰のお知らせになってしましました。今年は、大切な人との別れやら新しい命との出会いやらわたくしの人生にとって

大きな出来事が沢山ありました。

神田橋先生の陪席のため12月11日から12月13日まで鹿児島に参ります。

相談室は、お休みとさせて頂きます。

どうぞよろしくお願いいたします。

2016.02.27|鹿児島に行ってきます

明日、2月28日から鹿児島の神田橋先生の病院へ勉強に行ってきます。

水曜日3月2日までお休みを頂きます。

宮崎のホームホスピスも見学する予定です。

南房総に小さなホスピスを立ち上げたいという妄想めいたことを

考えております。

蟻さんの一歩ほどの前進になるとよいのですが。

どうぞよろしくお願いいたします。

2016.01.04|あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年は、人生の目標のようなものがおぼろげながら

見えた一年でした。

今年は、年女です。

申は、嫌なことが去るとも言われています。

でも、大いに嫌なことも肯って一歩前進したいと思っています。

上空から見た富士にも力をもらえました。

心的エネルギーのまま、宇宙の働きに身をまかせてみたいと

思っています。

 

2015.08.20|生と死

 

大橋 繭子さんの写真
大橋 繭子さんの写真
大橋 繭子さんの写真
大橋 繭子さんの写真
大橋 繭子さんの写真

随分と長い時間、ここで過ごした気がする。
そして生ものにたくさん触れた。

海。
向こうに佐渡はない。
どうやって辿り着いたのか、そんなことはお構い無く流れついた処で知らない海の中を彷徨っていた。

海に生き、死んでなお、波の中で丸みを帯びていくことをただ受け入れながら揺れる貝。

雫に貫かれるほどの長い時間、居場所を変えない石。

生生と蛆が貪るのは流れ着いた海亀の屍。

漁網のこちらとそちらの境界線を無視して散々絡まりながら組織する赤い貝。

ない部分が他所にある半身のパン。

どれも哀惜はなく、躍然たる存在感を纏ったおそろしく美しいものだった。

死というのは一体どこからがそういう状態で、どこにあるものなのかと不可思議だった。

どうだった?と訊かれるとこう言うしかないので黙ってしまいますが、端的に言ってみると、泳いで食って呑んで歌って踊って家事をして、楽しかった千倉での数日間でした。

(大橋さんからの便り ママ)

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大橋繭子さんと過ごした千倉の家。

パンもルリマツリもノウゼンカズラも全てあの人が遺して置いてきぼりにしたものだ。

わたくしは、あの人の何も見ていなかった。何も聴いていなかった。でも、毛穴に染み込んでいた。

全てが蘇ってひとつになった。てこのような力を持った人だ、繭さんは。

現実見当できないないくらい、姿の見えない世界をさまよった数日間だった。

2015.06.11|岩波 国語辞典

生まれて初めて自身で国語辞典を購入した。

『岩波 国語辞典』第7版 新版。

装丁は、名久井直子さん。

薄紫の表紙がすでにポエジー。

隅につる草の模様が押してある。

辞書というのは、分からない言葉に

であったときに調べるというのが基本かもしれないが、

この「本」は読書したくなる。

序文に、すでにえらく感動してしまった。

まるで恋文を読んでいるかのように。

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はじめにしばしば、日本語のあいまいさということが

指摘されるが、これは日本語自身の責任というよりも、

日本語を使う人の側に責任がありそうである。各人が、

一語一語の基本的意味を明確にはとらえていないで、その場

その場でかなり勝手気ままな使い方をするために、社会全体からみると

、結局、その語の意味がきわめてあいまいだということになるのではなかろうか。

そして、語の基本的意味を明確に記述しておくのは辞書の役目のはずである。

(中略)

語の意味は必ずしも一つとは限らない。しかし、これまでの多くの辞書は、一語の意味をあまりにも細かく、しかも並列的に記述してきたきらいがある。そして、どちらかというと、その語の基本的意味がなおざりにされていたようである。この辞書では、ここのことを反省して、出来るだけ、一語一語の基本的な意味を解明しようとした。現象的なものよりも、その根底にひそむ根本的な意味を明らかにしようとしたのである。

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2015.05.05|一本の木

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今日は5月5日、子どもの日。

まるで初夏のような陽気で、

さわやかな祝日です。

今春は、いろいろなことが起こります。

世界の中でも、日本の中でも、相談室の中でも。

良い方向にも悪い方向にも一歩一歩進んでいることを

感じています。

昨日、一本の木が相談室にやってきました。

「もう死んでいるよ。」と。

わたくしの指がちょっと触れただけで、細い枝は、

枯れ木のように簡単に折れてしまいました。

でも、まだ大丈夫、とわたくしは思っています。

根元は、こんなにも美しく苔生しています。

きっと明日は、もっと元気になるよ。

良いことも悪いこともまた明日。

2015.02.23|ダイアローグ・イン・ザ・ダーク

昨日、友人に誘われて、暗闇の中に身を置く体験をしました。

視覚障害者のアテンドに支えられて、1時間半、漆黒の世界を歩きました。

白杖を持ったのも初めての体験。

“みえない”とはどういうことか、全く分からなかったのだけれど、それは、懐かしい記憶が蘇るような安心感に満ちた心地よいものでした。

人や物を確かめるには、やさしく触ったり、音や声に集中するしかありません。距離感も音が頼りです。

自分自身の存在を声を出して相手に伝えなければ、気持ちのやりとりはできません。

暗闇に一緒にいる相手にとって最善のことをしようとする、素直な気持ちが前面に出てきました。

「わたしは、○○です。あなたは?ここに段があるから気をつけて!」

「ありがとう!わたしは、○○」って手を一瞬握って、お互いの存在を確かめ合います。

光のある世界の人との距離感よりずっと近く、温かいものです。

暗闇は、単なる闇ではなく、自分の中の自分に入る体験でした。

今日は、面接中、何度目を瞑ったことでしょう。

人の声や音に意識を集中することで“みえない”をみることができる気がしているのです。

2015.01.23|ピースとハイライト

♪♪桑田佳祐さんが作詞作曲したサザンオールスターズの「ピースとハイライト」という歌は、

平和と愛にあふれた歌だと思っていたのだか、「政権批判」に歌に聞こえるという向きも

あるようだ。

♪♪

希望の苗を植えていこうよ

地上に愛を育てようよ

未来に平和の花咲くまでは・・・憂鬱(Blue)

絵空事かな?お伽話かな?

互いの幸せ願うことなど

 

歴史を照らし合わせて

助け合えたらいいじゃない

硬い拳振り上げても

心開かない

都合のいい大義名分(かいしゃく)で

争いを仕掛けて

裸の王様が牛耳る世は・・・狂気(Insane)

♪♪

そうとうな圧力があったのだろうか。

桑田さんが謝罪のコメントを発表した。

今、日本は風刺許さぬ風潮が漂っている。

これは、民主主義ではない、洗脳だ。

風刺の毒よりはるかに毒素が強くて危険だ。

2014.12.11|まずは好きになることじゃないかな

とあるクリニックで目にした記事が心に残ったので記憶を辿って書いてみます。

ピアニストを目指している少女からの、どうしたら上手になるかという質問に、あるピアニストが伝えた言葉です。

 

「どんなに頑張っても人間は、嫌いなものにありったけの情熱なんて注げないから」

 

仕事にしろ趣味にしろ生活にしろ何かを達成したい時に、難しかったり、苦しかったり、うんざりすることもあるでしょう。

そんな時、一歩ひいて全体をみたり、別の角度から眺めてみましょう。

自分の人生を「引き受ける」ということは並大抵のことではないけれど、つらい試練も引き受けて生きるということは並大抵のことではないけれど。。

きっとどこか好きになる部分がみつかり、前に進む力が湧いてくると思います。