2015.08.20|生と死

 

大橋 繭子さんの写真
大橋 繭子さんの写真
大橋 繭子さんの写真
大橋 繭子さんの写真
大橋 繭子さんの写真

随分と長い時間、ここで過ごした気がする。
そして生ものにたくさん触れた。

海。
向こうに佐渡はない。
どうやって辿り着いたのか、そんなことはお構い無く流れついた処で知らない海の中を彷徨っていた。

海に生き、死んでなお、波の中で丸みを帯びていくことをただ受け入れながら揺れる貝。

雫に貫かれるほどの長い時間、居場所を変えない石。

生生と蛆が貪るのは流れ着いた海亀の屍。

漁網のこちらとそちらの境界線を無視して散々絡まりながら組織する赤い貝。

ない部分が他所にある半身のパン。

どれも哀惜はなく、躍然たる存在感を纏ったおそろしく美しいものだった。

死というのは一体どこからがそういう状態で、どこにあるものなのかと不可思議だった。

どうだった?と訊かれるとこう言うしかないので黙ってしまいますが、端的に言ってみると、泳いで食って呑んで歌って踊って家事をして、楽しかった千倉での数日間でした。

(大橋さんからの便り ママ)

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大橋繭子さんと過ごした千倉の家。

パンもルリマツリもノウゼンカズラも全てあの人が遺して置いてきぼりにしたものだ。

わたくしは、あの人の何も見ていなかった。何も聴いていなかった。でも、毛穴に染み込んでいた。

全てが蘇ってひとつになった。てこのような力を持った人だ、繭さんは。

現実見当できないないくらい、姿の見えない世界をさまよった数日間だった。